感情の話なんて必要かなと思ったんですが、記録として残しておきます このブログにはコメント欄はありません でも、辛いって言っていいんです 苦しいって言っていいんです
ありきたりな言葉だけど、まさか自分がガンになるなんて・・・って思いました 当時はまだ33歳で、ガンになるには若い年齢で・・・ これからどうなるんだろう・・・っていう不安が大きかったです たくさん泣きました 当時受けていた定着支援のスタッフさんにたくさんお話を聞いてもらいました
毎週のように検査があって、すごく大変でした 仕事と検査で休む暇なく、心身ともに限界を超えていました 本来なら歯医者にも行かないといけないんですが、「無理!」って行きませんでした もしも歯の治療をしなければならなくなったら、抗がん剤を中断する覚悟でした
吐き気で食べ物が食べれないとき、食べることが好きな私は辛かったです 味覚障害が起きたときも、これ、いつまで続くんだろう・・・って思いました 全身の痛みのとき、当時は地域活動支援センターに通っていたので、休まなきゃいけないのが辛かったです 抗がん剤が延期になったとき、また次の週に病院で、センターを休むことになって、うまくいかないことにもどかしさでいっぱいでした 勉強が好きな私は、この期間に勉強をしていましたが、それも進めることができなく、寝てばかりになって、本当にしんどかったです 髪の毛が毎日抜けていくのも辛くて治療が終わったら本当に元に戻るか不安でした
片方の胸の全摘、手術後には胸がなくなっていると思うと辛かったです 入院中はとにかく暇でした(勉強してたけど)
腕が思うように上がらなくて、地域活動支援センターで作業が思うようにできなくて、辛かったです 重いものを持つなと言われていたにも関わらず、退院後2日で持つバカチン でも、治療の半分が終わってホッとしたこともあるような・・・ 水が胸やワキに溜まって、3日に1度のペースで病院 めんどくさいって思いました 水が溜まると張って痛いんですよね ストレスを感じていました
毎日の通院 これが終われば治療の目途が立つと思うと頑張れた 放射線治療中、就活を始めたので、忙しさで、治療が辛いとか考えることはほとんどなかった 放射線治療で皮膚が赤くなって痛かったぐらいの印象
髪の毛もだいぶ戻り、仕事も安定して行って・・・ 結構順調にいっています 手術した側の腕が上がりにくくなることもあって少し辛いなと感じることもあるけど、それなりに楽しくやってます
似たようなことをいろんなところで書いていますが、 私一人ではこの治療は乗り越えられませんでした 心配してくれた友達、様々な支援機関のスタッフさんたちのおかげだと思っています かけてくれる1つ1つの言葉が本当にありがたく、嬉しかったです